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天一国摂理報告
天聖経増補版 正しい理解と摂理的価値
登録日 : 2013-07-08/ ビュー : 1322

金榮輝会長のみ言 (201371日、真の父母頃編纂委員会議)

 

今度の問題は 3つの側面から考えるができます。第一番目が何かと言えば、お父様の遺言書と言われる8大教材を何ゆえに減らして、このようにするのかということです。ところで8大教材の意味が何であるのかということをまず知らなければなりません。8大教材というのは8冊の本を言うのではないのです。人々が普通考える時「8大教材」と言えば8冊の本だと考えるでしょう。

それでは、そうではないと言う理由が何なのか?第一にお父様の「み言選集」は6百冊以上になっています。それだけですでに(8冊には)ならないのです。二番目に「家庭盟誓」は本がありません。「家庭盟誓」は天聖経の前にも書かかれているし、重要な本ごとに前に入っていませんか? 家庭盟誓の解説は平和神経の中にあります。平和神経の中に家庭盟誓が合わせられているのです。これが、お父様が考えた方法だということですね。「天国を開く門真の家庭」、「平和の主人血統の主人」も、やや小さい本です。これは経典になることができません。もしこれを効果的にしようと考えれば、外部に出す時に平和神経に合わせて1冊として作っても恥ずかしくない本であると言えるのです。それらの本が重要ではないという事ではないのです。私たちが外部の人に出す時そうだというのです。

お父様が家庭盟誓を平和神経に合したこととともに、私たちも天聖経の中に家庭盟誓の内容を入れており、お父様の講演集である平和経にも更にプラスして入れたというのです。平和経の内に「天国を開く門真の家庭」が入っていて「平和の主人血統の主人」が入っています。そうですから(8大教材の中に)一つも抜いたものがありません。それを更に簡便に、もっと見やすく、携帯しやすくすべて合わせて入れたのです。経典を経典らしく作ったというのです。

見てください。8冊の中で、み言選集はそのままあります。世界経典もそのままあり、原理講論もそのままあります。5冊が問題ではありませんか? その中に家庭盟誓は平和神経に入っているので、それは引いて4冊が問題になります。「天国を開く門 真の家庭」、「平和の主人血統の主人」合わせてしまえばすべて入っているのです。天聖経と平和経2冊の中に五冊(天聖経、平和神経、家庭盟誓、「天国を開く門 真の家庭」、「平和の主人血統の主人」)がすべて入っているのです。

 

お父様ではなくてお母様がされたので、今いろいろ言っているのです。それではお父様とお母様がどのような価値的な差があるのかというのです。そのような人々は、お父様はとても高い位置にあり、お母様は何でもないもののように見ています。これが問題の発端です。そこに問題があるのです。8大教材を冊数でだけ考える観点、お父様の位相とお母様の位相を違うように見る観点から出てきたことなのです。

それではお父様の価値が何なのかということです。お父様のみ言を見てください。お父様が個人的に語られたみ言は一つもありません。全て真の父母という名前を掲げて語られました。すべてのみ言は真の父母の立場で語られたということです。祈祷も真の父母の名前でされました。何のことかと言えば、お父様一人で語られたのではなく、お父様はいつもお父様とお母様が一つになった真の父母を代表して語られたのです。

お父様はお父様とお母様が一つになった真の父母を代表して語ることができて、お母様はお父様とお母様が一つになった真の父母を代表して語ることができないのか? その人たちが言うことは、お父様はそのようになることができて、お母様はそのようにならないということなのでしょうか?

お父様が1960年に聖婚式をされましたが、その前のお父様の価値はどうだったと考えますか? お父様は個人的蕩減しかされたことがないのです。個人的蕩減をされたのです。40歳まで何をしたかと言えば、個人的立場でサタンを屈服させた勝利をしたのです。イエス様とまったく同じです。ところで新婦であるお母様を探して聖婚式をすることによって、その時から真の父母の名前を持つようになられて、聖酒式もするようになり祝福結婚式もするようになりました。その時から新しい摂理が始まったのです。

お母様とお父様のお二人が一つにならなければ血統転換もできないのであり、私たちを祝福させて結婚させることができないし、祝福家庭を作ることができないのです。お父様がその次の摂理ができたのはお母様を捜してお母様と一つになったからです。お母様の価値とお父様の価値がプラスになって真の父母となり、次の摂理をするようになったということです。

ですからお父様がいくら偉いと言っても、お母様がいなければお父様の価値はないというのです。お父様のみ言の中にもあります。夫婦は半分にしかならないと、そのように語られました。お父様は半分にしかならないのです。真の父母の半分ですよ。お母様も半分です。神様が見る時、お母様の価値はお父様の価値とまったく同じだということなのです。

もちろんお父様は苦労をたくさんしました。イエス様は苦労をたくさんしませんでしたか? お父様も同じです。サタンを屈服させた個人的な勝利条件を立てることを、お父様がされたというのです。しかしその後に、ご聖婚をされることでお母様と一つになったでしょう。一体になれば、相続圏同位圏同居圏がすべてあるとそのように語られたのですよ。お父様とまったく同じ同位圏に入って行くのです。一つです。同じ価値だというのです。

それで先ほど言ったとおりお父様はいつも、お父様とお母様が一つになった真の父母になった立場でみ言も語られ、すべての摂理を進行されたので、お母様もお父様とお母様が一つになった真の父母になった立場で摂理をなさることができるということなのです。その時にはいつもお父様がともにいらっしゃるということです。

だからお父様が何かをなさる時もお母様がいつも一緒に行かれたし、やむを得ない事情の時には一人で行かれましたがいつも霊的には一緒に行かれたという条件を立ててされたのです。同じようにお母様がなさる時にも、お母様一人でなさったのではなくてお父様も霊的に一つになり一緒にしているという心を持って、そのような条件でされているというのです。だからお父様の価値はお母様とまったく同じだということです。

それでは、お父様とまったく同じ価値を持っているお母様が指示されてなされたこのことが、何が間違っているのかというのです。間違ったことが一つもないのです。お父様が指示して私たちが『天聖経』を作ったこととまったく同じ立場で、お母様がされたことだというのです。だから誰も批判することができないのです。

そしてお父様とお母様に対して私たちは批判する資格がありません。どこの誰もできないのです。誰が父母様を批判する資格がありますか?神様にしかありません。神様だけが父母様の名前で出来るのであり、私たちには父母様を批判する資格がないのです。権限もありません。これは完全に越権であり、サタンだというのです。何の権限があって、何の資格があってお母様がなさることを批判し、お父様がなさることを批判することができるのか、ということです。これが間違っているのです。

 

その次には天聖経の内容を見てみましょう。今日もある人が私に電話をして来ました。「以前の天聖経はどうだったかと言うと、神様編を例にあげれば、重要なのが出てから次に別の違うものが出て、また違うのが出たりして複雑だった。後で見れば混乱する。ところで今回の天聖経の増補版はそういうものがなく、順序どおりよく理論的に展開されている。」と話していました。神様に関するすべてのものが明らかに入っているというのです。そのため「これは私たち信仰者だけではなく、信仰を持たない人にも大いに役立つ。むしろその人たちがこの本を見ればお父様の価値も分かるようになり、神様に対してにも分かるようになるでしょう。」そのように言うんですよ。そう、その人がそう話すのです。「今まで私たちはお父様の自叙伝を配布したけれども、それと同じようにこの天聖経を配らなければいけない。これがこれから伝道をするのに重要な位置を占めるでしょう。」と言いました。それを読んだ人はそのように理解をするのです。

私たちは正当です。私たちが他の人の言葉を入れましたか?すべてお父様のみ言です。お父様のみ言が6百冊以上になるのに、それをすべて入れることができますか?6百冊になるみ言をどのようにしてすべて入れますか?いずれにせよ取捨選択せざるを得ないのです。私たちは私たちが見る観点で取捨選択をしたのです。一番相応しいと言われたことを選んで入れたのです。それが、何が間違っているのかというのです。

それでこのような批判をする人々は相対する価値もありません。そしてどのような人々なのか知る必要があります。背後が誰なのかを知らなければなりません。とにかく皆さんは絶対そのようなことに動揺するまでもないのです。自信を持って行かなければなりません。誰が何と言うと動揺する人は初めからしないでください。

私たちが今「真の父母経」を作っていませんか?これも天聖経にあったのですか?以前の天聖経にあるものではないでしょう。これも新たにして、お父様の歴史などすべてのものを合わせて経典を作っていることではありませんか?何が間違ったことだというのですか?もっと豊富な内容を持って、もっと多くの資料を持って作っているのに、これに対して偽作だと言えますか?偽作という言葉はお父様のみ言を使わないで他人の言葉を使う時に偽作になるのです。どうして偽作になりますか?お父様のみ言を持って作るのにどうして偽作ですか?そんな話がありますか?

今回私たちが作るのも私心を持ってすることではありません。今までも私たちが私心なしにしてきましたが、徹底的に私心を離れて公的な立場ですべてのものをしなければならないと考えています。それが私たちの長所です。私たちがそのようにすれば、恐ろしいことは一つもありません。神様の前へ行っても心配することは一つもないのです。

 

 

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